Creative: Himeji, Tatsuno

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姫路龍野:姫路・龍野 ニッポンの革、源流紀行

姫路龍野姫路・龍野
ニッポンの革、源流紀行

日本が誇る伝統の産業といっても過言でない、ジャパンレザー。歴史に裏打ちされたその最大級の生産地、姫路・龍野を訪ねた。

2010年発行 「日本の革 3号」より

革の歴史は、人間の歴史といってもいい。太古の時代から靴や衣服として動物の皮を利用することで、人々は氷河期を超えて寒さや衝撃から身を守ってきた。その歴史のなかで創意工夫により生み出され、刷新と伝承を重ねてきたのが、皮を革にするなめし技術とその革を製品にする加工技術だ。革の本場はヨーロッパと言われることもあるが、なかなかどうして。我が国の革の歴史も浅くはない。その発端は明らかでないが、少なくとも千年以上前には史実として登場している。そんな日本の革のルーツを俯瞰するときに避けて通れない地域がある。兵庫県、播磨地方。そのなかでも姫路・龍野という隣接したふたつのエリアにその産地は集中している。
動物の皮はそのままでは比較的短期間のあいだで腐食をおこしてしまう。その皮を長期的な使用に耐えるように革として新たに生成させる技術は、人間の歴史とともに絶え間なき発達を見せてきた。おそらく硬い皮を歯で噛んでいくと柔らかくなることに気付いたことを端緒に、油脂を塗りこむと皮が柔らかくなったり、灰汁につけると毛が抜けていったり、煙で燻すと腐りにくくなったり…。

そんな原始的な発見を積み重ねるなかで、木の皮に含まれる植物由来のタンニンがなめしに効能があることを見つけ、産業革命のなかで金属由来のクロムが効率的ななめしに適していることを見つけ、製革技術は近代化の一途をたどっていくのだが、長い歴史のなかでも我が国ニッポンでタンニンやクロムなめしが主流となるのは明治以降の話。
この播磨地方も同じくしてタンニンやクロムによる西洋式の製革は文明開化の音とともに花開くのだが、その素地として伝統的な革なめしが悠久の時を超えて脈々と受け継がれてきた。古い時代ゆえにそのストーリーには諸説あるが、神功天皇の時世に渡来人が但馬の円山川で試したが上手くいかず、南下して姫路の市川で試したところ成功したというのが、革なめしがこの地で勃興する言い伝えの通説のひとつ。
「水の硬度によってなめしの上がりは変わるんです。市川は硬めやから紳士靴の革とか向いてます。牛一頭の皮をなめすのに必要な水は1t以上。地下水だけやなく伏流水も含めて川に近い立地は革づくりに大切なファクターやね」

悠久の暮らしが育んだ、
伝統のものづくりがある。

播磨の小京都、龍野の街並みはどこか清楚で質実な気風が流れる。
路地を歩くと人々の暮らしがそこかしこで感じられ、しっとりと落ち着いた佇まい。時を重ねた街の穏やかさが心地いい。

この川がなければ姫路の革なめしは生まれなかったかもしれない。バクテリア、硬度、歴史と伝統に磨かれてきた白なめしは、この市川の水ゆえの産物なのだ。

レザータウン高木・革の里。街の入口にある、革の魅力を伝えるアンテナショップだ。高木地区の工場見学の手配もしてくれるのだ。

姫路駅から車で分ほど東進したところにある山陽の網野氏は言う。来年100周年を迎える、紳士靴用の製革では日本トップシェアの大きな工場だ。市川は目と鼻の先。「うちは1911年創業で、ロシア兵の捕虜さんからなめしを教わったと聞いてます。戦時中は軍需があったから軍靴や銃ホルダーに革が使われるわけです。でもそんな経緯で建物のひとつが爆撃を受けました。もともと階の建物が階だけになってね。今は物置になってますが」
見せてもらった建物には天井がなく、戦争の爪跡がはっきり残されていた。それもまた姫路の革の歴史の一コマであることに違いはない。「時代の変遷とともにつくる革も変わっていきました。今は少量多品種や。手間ひまはかかるけど、自分が納得できる革をつくることが何よりも大事。自分の気に入ったものをつくれないと誰かが気に入ってくれるわけがない。そう思って頑張ってますわ」

網野氏の言葉には謙虚ながらも技術と経験に裏打ちされた力強さがみなぎっている。長く続いてきた革づくりの地の、矜持。秀吉が姫路城にいた時世、信長に播州土産として革200枚を贈ったという逸話が残る土地。水の硬度やバクテリアがあった市川の高木地区では、伝統の白なめしが累々と行われてきた。坂本商店の坂本氏は語る。
「戦前はみな白なめしでしたね。今こだわっているのは、黒桟革(くろざんがわ)。白くなめした革を黒く染めて、漆でシボを出していくんです。古くは甲冑など武具にも用いられた伝統の革で、なめしの技術と漆の技術が必要になる。漆の乾燥は革とちごて湿気が必要なんやが、先代はお風呂で乾かしてましたね。先々代は藁で巻いていた。その具合はみな勘ですよ。正倉院の宝物を覗けば漆が見られますが、英語で漆=ジャパンですからね。そんな黒桟革は、日本ならではの革や思いますね」
工房には黒光りする革と白光りする革が並ぶ。坂本氏は夫婦で剣道の柄革職人でもあるのだ。「革は銀面が用いられるのが普通ですが、竹刀ではすべらないように裏面を使います。今はネット販売もしてるけど少年剣士が喜んでくれてね。メールがくるんですわ。そういうのはうれしいね」

川とともに、空とともに、
革とともに、人とともに。

今もなお、市川のほとりには革が干されている。雨の気配があると慌てて引き上げにいく。
大変な作業だが、風物詩という言葉を思い出す。乾燥機でCO2を出さないという信念も今はある。

伝統と革新がタッグを組んでいく。そのなかで生まれてくる新しい力がある。その力が明日を築いていく。高価な海外ブランドや安価なアジア製品もあるが、ニッポンの革づくりは歴史のなかで今も進化し続けている。それは播磨の皮革産業を支えるもうひとつの集積地・龍野も同じだ。
「大切なのは売り先なんです。商品はすごくいいのに、売り先がない業者さんがたくさんいる。それも、工夫次第なんです。昔は商品が売れるかどうかの動向をはかるのに全国平均が出やすいと言われる静岡でリサーチしてましたが、今はネットで消費者のニーズが如実に出ますから」
と語るのは、橋本商事の橋本氏。自動車のハンドルカバーの世界では、トップシェアを誇る。「国産の全車種に対応するハンドルカバーを作って販売してます。先代のおおもとは自転車のサドルカバーでしたね。国産牛の皮をなめすところから、色つけてコーティングして断裁して縫製して製品化するところまで、全部見てます。オール・メイド・イン・ジャパンですわ。自動車用品販売店にアジア製のハンドルカバーが入ることもあるんですが、売場を席捲されることはありません。

やっぱり日本人のことは日本人がいちばんわかってますからね。そういう商品づくりをしっかり心がけて。販路も創意工夫で活路を開いて。日本の革はモノがいいですからね、まだまだやりようがありますよ。これからはネットを活用したオーダーメイドの革製品づくりもやってみたいですね」
未来への視線を失わない橋本氏が事務所を構えるのは龍野・松原地区。林田川が横を流れていく、件近くのタンナーが軒を並べる日本最大級の牛革生産地だ。同じく松原にある浦上製革所の浦元氏を訪ねた。「革は昔からの地場産業。ここは集積地ゆえに、地区全体で革に特化した専用の水処理場があります。大量に水を使う革なめしの廃水を、高度な技術で処理して川へ戻しています。世界から見ても環境に良い、と言える革の生産地です。姫路・龍野は日本を代表する革の産地として自治体とともにエコにも取り組んでますよ」
世界遺産・姫路城の優美さは言わずもがなだが、龍野も播磨の小京都といわれる城下町。白壁の続く小道の散策が心地いい、こぢんまりとした街の名産は醤油、素麺と、革。姫路は献上の革もつくっていたのに対し、龍野では武士の煙草入れなどの革づくりに尽力していたという。

革づくりの工程一つひとつに、
人の丹精が、切に込められている。

タンニンなめし中のピット。革は、生き物を祖先に途方もない手間を父に職人の想いを母に産まれる。だから時を超えて、長生きする。

「ここ年近く、タンニンなめしもやってますね。時間のかかるピット槽でなく太鼓を使ってね。時代とともに必要とされる革も変わりますから、革づくりも変わっていかなアカンなと思いますわ」
浦元氏の工場から歩いて数分のところにある中嶋皮革工業所、その社長の実姉が経営するお店が龍野にある。ア・プレスト。“また近いうちに”という意味が込められている。「もともと龍野はタンナーだけでした。革なめしは言わば一次加工。でもそれだけに満足して変化しなければ飛躍がない。地元を活性化したいし、龍野発信で革なめしから商品の企画・デザイン・縫製・販売までワンストップでできるような流れを作りたかったんです。ロットの少ないものをしっかり作ろうという想いで鞄づくりを始めました。弟がなめしを見ているし、龍野はタンナーの町ですからね、革のプロフェッショナルが多い。“いい革が何か”をよく知ってるんです。質の高い革製品をお客さんに届けていけば、必ずその気持ちが届くと信じています」
報交換しながら製品づくりをしています。姫路の皮革を表すオフィシャルロゴマークを研究会と作って製品にも表示しはじめました。姫路の革がもっとみんなに知られるようになって育っていくのが願いです」

中嶋氏のお店に寄ると、売場の横は革の手づくり教室、その奥は職人さんが実際に商品を作っている。この職人さんがまた若い。作業場にあるCDはGReeeeN。
「使う立場も作る立場もどんどん次の世代に出てきてもらって、革に親しんでもらって、龍野の革産業が盛り上がっていけば本当にええなあ」
中嶋氏の夢は優しく膨らむ。軽やかな気持ちで姫路へ戻ると駅前にある、じばさんビル。地場産業振興のキーステーション、その階にハンドメイドの革工房がある。市の皮革産業活性化研究会によって革製品職人を養成するために作られた工房BAIMOだ。代表の渡辺氏もまたこれからの世代だ。
「人々に姫路の革を知ってもらうには製品を作っていかなきゃと思うんです。原材料はプロにしかわからないですからね。ここでは若手のデザイナーが一人ひとり個別でなく、ギルドのように集まって力が生まれるよう情報交換しながら製品づくりをしています。姫路の皮革を表すオフィシャルロゴマークを研究会と作って製品にも表示しはじめました。姫路の革がもっとみんなに知られるようになって育っていくのが願いです」
メイド・イン・ジャパンを支える播磨の革づくり。伝統に育まれたプライドとともに、まだまだ進化することだろう。日本中の人々がそんな想いのこもった革と親しい出会いに恵まれる日がくることを願ってやまない。

浦上製革所

上)工場2階には、仕上がりつつある革が出会いを待っている。
下)倉庫に収納されている原皮はまだ獣の匂いをまとう。

山陽

上)太鼓の数も半端ナシ、大工場だ。
下)この建物、元は4階建てだった。爆弾で焼かれた戦争遺産が生々しく残る。

橋本商事

上)染色の微調整も職人技が光る。
下)国産車のハンドルはすべて把握しているという。ただ脱帽。

A PREST

上)使い手の心を汲んだ丹念につくられた鞄。
下)若い技術者がいる光景は爽やか。

坂本商店

上)左が、極上手もみ黒桟革。質と品が違う。
下)気さくな坂本氏、革を前にすると眼光は鋭い。

革工房BAIMO

上)姫路駅南口歩いて1分。ぜひ立ち寄りたい。
下)表示がはじまった姫路皮革のロゴタグ。ブランドに育ちますように。